猪飼祐一


雅号 壺屋喜兵衛” 猪飼祐一は、自らを「壺屋」と呼び、「壺造りは、天命だ」と言われていました。

灰釉彩壺

125*125*H165
壺は、大きく、重いというイメージが一様です。だからこそ、猪飼祐一は、極薄に作陶するそうです。腕の見せ所でもあります。本作の極薄さに驚きました。持つと、印象より遥かに軽いです。削りではなく、手技のみで極薄に引いているそうです。指の動きを見て取れる轆轤目が証です。灰釉の均一な流れは、内外の境なく、全体を覆っています。灰釉の流れの太さは、美しい景色の印象が変わらないようにと、本体の大きさに伴って灰釉薬を調整されています。これぞ!猪飼祐一の陶力《観点》壺を本格的に鑑賞したのは、初めてでした。今日まで、私好みの壺の観点は、・膨張しているかのような張りを感じるか・立ち上がりに緊張感を感じるか・釉薬や灰の流れの景色に、力強さと美しさを感じるかとしていました。本作は、先の次元にありました。作品全体から、人肌の暖かさを感じます。しっかりとした造形軸を包む柔らかな造形です。作り手は、この造形に拘り、注力しています。景色は、その造形に込めた想いを最大限に表現する手法を研鑽した結果だそうです。本壺を観ていて、ふと、思いました。その成り立ちは、まるで“人”そのものなのではないどろうか。人は、骨が軸となり、筋肉や皮膚が包み姿を成します。美しい姿とは、本身の美しい姿勢や美しい所作が、必須です。艶やかな佇まいや暖かみ、癒やし、志気の鼓舞など、人に感じる事柄を、陶芸を現す言葉として用ています。壺に“人”としての観点を持ち、理解を深めるのも一つではないかと思いました。