石山哲也


新たな陶土、創作の可能性を求めて近年、中国の景徳鎮、香港、台湾の鶯歌、印度、韓国などへ積極的に出かけて作陶されています。


Pt.G Dimple cup

59・56・H47
《作り手談》私は古陶が好きで、今までの人生の大半を費やしておりますが、器に関しては織部の大窯時代の志野、瀬戸黒を含む茶碗がベースです。しかしそのまま色や型を写しても本歌に比べれば弱いのは言うまでもありません。 コンセプトがあるかないかは大きく違います。それが金銀彩とディンプルです。最もそれは使うという事に特化していないので、使い辛いかもしれません。私が金銀彩(プラチナ含む)をはじめた25年前、私は趣味で陶芸を独学でしていて、三輪さんが金彩をされていたくらいで、誰も総金彩をしていませんでした。私は古い仏像が好きで、金が剥げて地の木や銅がでている様に惹かれます。金銀彩の下地には色々な釉薬を使っていて、長年使われることで金が摩耗し下地の色が出てくることで完成します。ディンプルですが、元々はオブジェに穴を開けていたのが始まりです。穴が貫通しているものもあります。私は石も好きで、特に川や海で摩耗したものに惹かれます。本来ならダメージですが、摩耗し、穴が空いたり擦れたりして元の形が失われ、トルソー的な新しい型は見る人の想像力を働かせます。元の形にダメージを与えることにより、新しい型を生み出すという織部好みの一つの解釈と考えています。最初にディンプルシリーズとして作った作品の写真をお送りいたします。前にも見て頂いてると思いますが、何となくイメージしていただけるのではないでしようか。《鑑賞》くぼみによりくぼみの周囲の胴に張りが出ている事で生物のような柔らかさを感じます。また、そのプラチナに映り込む景色は造形と相まって常に柔らかく変化します。小さい作品ながらもたいへん力強い作品となっています。くぼみは小さなくぼみを組み合わせて自然の法則感があり、強弱、大小のアクセントに魅入ってしまいます。高台部に抜ける穴には自然の中で経年と共に変化する鉱物のような印象があります。

白釉金彩盃

6961・H30
伝統的な白釉作品です。細かな造形の集積に艶消し銀彩(渋銀)が施されています。ところどころ施された金彩がアクセントとなっています。胴の造形には細かな手が入り鉱物感満載ですね!画像ではハッキリわかりませんでしたがポイントに施されたプクッリした金彩は鉱物に含まれる金をイメージさせ可愛らしいです。既に渋銀の様相が出ていて温かみのある白釉と相まってとても良い感じです。細部に神が宿るのごとく丁寧に手が入り分厚い陶芸愛が込められた作品です。

7796・H66
《作り手談》翼盃は最初は飲み干さないと立たない形でしたが、だんだんと翼が長くなって立つような形に変化していきました。リアルな羽ではなく、様式化された羽なので、本物の鳥とは全く違った新しい存在として作っています。文様が文様を呼ぶという言葉がありますが、これも作っているうちに自然と変化していくということでしょうか。

景徳鎮青釉茶入

58*58*H88
同じ青釉でも全く発色が違います。景徳鎮の土は明るく透明感が出ます。土の組成の違いは何物にも変えられない!