岡部嶺男


初めて多くの嶺男作品を拝見したのは2007年に国立工芸館(東京国立近代美術館工芸館)で開催されたで行われた「青磁を極める-岡部嶺男展-」でした。作品の圧倒的な存在感と美しさに感涙しました。工芸愛好家になるきっかけになった作り手です。
「陶による造形芸術に自分の生涯の全てを捧げたことが、生まれた時に既に決定付けられていたのだと父自身感じていた」(HP嶺男窯変芸術より抜粋)
瓷の世界に挑戦し、次々に格調高い青瓷作品を生み出して陶芸界に輝かしい足跡を残しました。戦争から復員後、織部・志野・黄瀬戸・灰釉・鉄釉などの地元の伝統技法をもとに作域を広げていきます。なかでも器体の全面に縄文を施した織部や志野の作品はきわめて独自性が強く、高い評価を得ました。その後、意欲的な作陶姿勢は青瓷の研究へと向けられ、激しく凛とした器形に、しっとりとした艶のある不透明な釉調の<粉青瓷>、透明感ある釉調と青緑の釉色が美しい<翠青瓷>、そして、誰もが為し得なかった黄褐色の<窯変米色青瓷>など、世に「嶺男青瓷」と呼ばれる独特の釉調や釉色の青瓷釉をまとう作品を生み出したのです。古典の単なる模倣に終わることなく、自らの美意識を作品に映し出すことに生涯をかけた、岡部嶺男という偉大な陶芸家の軌跡を辿ります。(東京国立近代美術館工芸館 青磁を極める-岡部嶺男展-より抜粋)

志野織部長角皿


初めて見る“織部”と“志野”の融合作品。出逢った瞬間から、その陶力の強さと美しさに、暫く魅入ってしまいました。織部の透明感と発色の美しさ、釉溜まりの深さは、嶺男織部の真骨頂です。志野のほんのり桜色の景色、釉薬を通して見える鉄絵の勢いも嶺男先生らしい景色です。端の厚みのある志野釉には透明感があり、甜めたら甘いのではと思わせます。至極の両景色が、整然と一皿の造形の中に拮抗した景色の融合として、成立しています。

志野湯呑 

65*65*H97
料亭で使われていた筒湯呑です。轆轤目を残した極薄肉の筒造形、細かな貫入が美しい薄がけの志野釉です。酒器の存在感とは異なる静寂の湯呑です。

織部湯呑 

60*60*H95
料亭で使われていた筒湯呑(口縁一点金直し)。胴削りの織部作品と同じ轆轤目に美しい織部釉が溜まっています。胴の織部釉にも斑がほぼ無く、細かな貫入が全体に深みを与えています。内胴や見込みの織部釉も均一な静寂の湯呑です。