原 憲司


桃山黄瀬戸を追い、並べても判別できない域まで到達された黄瀬戸の第一人者です。現在でも更なる黄瀬戸を求め日々研鑽を積まれています。個展では志野、織部、井戸、瀬戸黒、唐津など他種の作品を多く出品されています。個展前日まで作陶し初日手持ちするほどギリギリまでより良い作品を追い求められます。個展毎ご縁のあった方には「生まれたてですので長く可愛がってやってくださいね」とお話しされています。使い手が作品と多く向き合う事で愛でてもらいたいと言う思いと作品を育ててもらいたいと言う願いからのようです。作り手が生み出し、使い手が育てて作品は成熟して行きます。
若手の陶芸家には情熱的に厳しいお話しをされています。「今やらないでいつやるの?」「土作りは土を知る事。土を知る事で釉薬や焼成が見えてくる」と!

黄瀬戸胴紐酒呑

60*60*H49
お茶碗と同様の胴紐は、極薄に造形されておりお茶碗と同じ雰囲気を生み出しています。黄瀬戸の釉薬は生がけです。両手で抱える鉢も生がけされます。鉢は奥様と阿吽の呼吸で釉薬桶に潜らせるのですが、底に釉薬が貯まると土への浸透と重さで底が抜けるそうです。

黄瀬戸六角ぐい呑

6770*H48
黄瀬戸六角ぐい呑は通例では鉄絵を入れませんが「造形ができ眺めていた時、不意に角に鉄を垂らしたくなった」と言われていました。

黄瀬戸輪花向付

75*75*H65
極薄手に造形されています。組み物で作られましたが、お客様の強い要望で一点づつのご案内になったそうです。以後、この造形は目にしたことがありません。

黄瀬戸徳利

75*75*H140
黄瀬戸は轆轤後、極力削りません。徳利の下部は作り上削りますが、肌合いが大きくかわっているのが見て取れます。注ぎ口の絞りが小さく愛らしい!

瀬戸黒茶碗

86*86*H85
金直しのある茶碗です。日頃、焼成割れのある作品は即廃棄されますが、本作はご自身が目指す景色となっているという事で、その景色を見せる為だけに個展会場に持参されました。展示せず景色のお話をされる時だけ手元から出されていました。会期終了後の扱いは決まってないと言われていました。美しい景色の印象が深くこのまま世に出ないのは残念に思いましたので、僭越ながら金直しをして世に出されても良いのではないかとお話ししました。後日、その運びになり安価にもされているとお店からご連絡を頂きました。その後、少し時間はかかりましたがどうにかお世話頂く事ができました。思い出深い作品です。

志野ぐい呑

59*57H52
企画展で、岡部嶺男先生の「紅色志野茶碗」を見ました。薄着きの釉薬が、土との一体感を思わせます。その紅色は、暖かく明るい発色していました。その美力に魅せられました。会場を出て常設展示を見た時、今、魅せられたばかりの、暖かな紅色志野の作品が陳列されていました。本作、原憲司志野ぐい呑です。釉薬の薄掛け、土見せと焦げがあります。数分前に感動した嶺男紅色志野茶碗の残像と重なりました。数日後、新発刊された志野特集に、本作が掲載されていたのを見て、本作を見たときの感動が甦りました。用の場での紅色は、赤みが増し、一層私好みとなりました。柔らかく整えられた口縁は、唇あたりが柔らかく呑み心地が良いです。見込みの細かな輝きは、黄瀬戸でいう油揚手のようです。

志野湯呑 その一

73*68*H80
日頃は作らない湯呑ですが、展示会企画により特別に作られました。湯呑と言いながらも、やや小ぶりの野点茶碗です。お茶碗や酒器と区別してそれなりに作る事はされません。とは言え同等な価格帯にするわけにもいかず‥「できれば作りたく無い」と苦笑い‥

志野湯呑その二

(フリーカップ)

68*68H80
一目惚れでした!初期にお世話頂いた志野ぐい呑の景色と同じ紅美肌色とトロッとした志野釉が相まった暖かい景色です。鉄絵のアクセントも筆に迷いなく描かれています。仕事中の一服に原憲司作品と向き合える贅沢な時を過ごす事ができるとは!

鼠志野ぐい呑 その一

5252H45
抜き絵で月光により影絵となっている草花のような景色を描かれています。小ぶりですが存在感を感じるぐい呑です。晩秋のおぼろ月夜に、虫の音が聴こえてくるような景色です。水墨画のような景色に、一層高い叙情観を感じます。面相筆の迷いのない細い線、薄掛けの釉薬と相まって描き出された絶妙な景色は、実に美しいです。小作品に広がりと深さを感じる景色を描けるのは、原憲司の叙情を知り尽くした感性と一瞬にして描ききる修練された筆使い、志野釉薬と窯、炎を掌握した匠みあってこそです。長年、向かい合ってきた逸品の深い赤紫鼠色は、深みを増し、叙情的景色を一層、浮き立たせました。数年後、同個展会場の平台に置いた逸品は、用の場と斯くした気品を醸し出しました。その佇まいに原憲司先生は「残る作品だな」と呟かれました。その責任の重さに「ドキッ」とした一瞬だった。本作と出会い、作者の手による描かれた“景色”の美力を共感する事ができました。繋いでいく責任を強く感じる日々です。

鼠志野ぐい呑 その二

58*58*H52
原志野には珍しく艶があります。釉薬の薄掛けためか釉薬割れが出ていて景色が賑やかです。

井戸ぐい呑 その一

8074H65
陶肌が高台に向けて徐々に枯れて行くような梅花皮です。貫入に覆われた雨漏りが美しい。井戸には「雨漏り」という景色が顕著に現れます。桃山井戸に出ている雨漏りに注目し、同等の雨漏りが現れる桃山井戸を目指し作陶されました。作品の土、釉薬、焼成、雨漏りの確認方法として仕上がった作品を土に埋め雨漏りかわ現れる時間を短縮し、確認されたそうです。

井戸ぐい呑 その

5252H42
先生の手元に長く置かれていたぐい呑です。生まれたてではなく時が育てた景色となっています。透明感の出た景色が美しいです。小さいながらも梅花皮が美しく出ています。

井戸ぐい呑 その三

64*70*H44
トロッと流れる釉薬、細かな貫入が美しいです。一般に見る梅花皮下の胴肌は荒く削られその肌による釉薬付着のばらつきが梅花皮となりますが、本作の釉薬が剥がれているところに荒れた肌は見えません。トロッとした半乳白の景色は志野のような景色です。

織部六角酒呑

6161H50
初めて拝見した全面緑釉の織部でした。織部胴紐酒呑と同様、胴に流れる幾つかの筋状の釉薬流れが美しい、原織部が理想的とする景色です。

織部酒呑 胴紐

6060H51
たまたまお店に伺った際に届いた作品を開梱しており机の上に本作がありました。灰釉のような目新しいぐい呑だったので拝見したいとお願いしたところ、胴紐の造形から即原先生の個展作品と分かったので個展に一番乗りしました。胴に流れる幾つかの筋状の釉薬流れ、織部の理想的な景色と言われていました。見込みにある灰釉薬の大きな釉溜まりの透明感は深みを感じます。黄瀬戸胴紐と同等の造形です。太くゆっくりと流れる釉薬、見込みの大量な釉溜まり、悠然とした佇まいに、一目惚れだった織部の釉薬は、緩い印象です。見込みの溜まりが証です。太く流れくる景色は至難の業と言われていました。原先生は「この太い流れに拘った」と言われていました。イメージ通りの景色は、なかなか出来ないようです。その個展では、同様な酒呑の出品は、本作一点のみです。原先生にして、至難の業。「しばらく、作陶するつもりはない。」と言われていました。

絵唐津 赤土

5356H55
実用品にならない土と言われている赤土での作陶です。本作はなんの問題もなく艷やかな落ち着いた景色となっています。
<唐津焼一般データより>唐津の赤土には、ガラス成分を多く含む物がある。ガラス成分を含んでいると、火度が上がれば容易に発泡するので化粧土が浮き上がる。化粧土も滑らかに焼き締まる組成をしていない。従って実用にならない焼き物になる事が多い。