富永善輝


釉裏彩作品を構想している時は黄瀬戸、井戸、等を作陶し、それらの構想をしている時は釉裏彩作品を作陶していましたが、いずれも気分転換ではなく研鑽を積まれていた。唐三彩を基に黄瀬戸のアクセントに用いる胆礬を釉裏彩の釉薬とする独自の技法を生み出した。釉裏彩の景色は、色合い、濃淡、止まる・流れる、等、表情によって釉薬を細かく作り分け、細かな造形の作品は各部を筆で塗り分けていた。独立の際「黄瀬戸(灰釉系)の釉薬は勉強になる」と同門の大先輩である原憲司先生にアドバイスされ、黄瀬戸釉から始まり派生釉薬の研鑽を積まれていました。個展では毎回、新たな景色の黄瀬戸や井戸を始め、独自な景色の作品を数多く出品されていた。結果、毎回全品細かく拝見したい作品となり時間と労力がかかるので、都度「もう少し小出しにしてください」とお願いしていた。 没2016.3.25 享年44歳

釉裏彩酒盃 その一

49*89*H53
釉薬を細かく作り分け、筆で塗り細部の景色を作り分ける。釉裏彩の色合いの変化も深く、浮遊するように流れる景色や色合いの対比が美しい。中央の玉は、玉を別に作り造形の最後に嵌め込み整えている。

釉裏彩酒盃 その


釉裏彩酒盃 その


朝鮮唐津盃

7065*H40
朝鮮唐津を目指し作陶したわけではない「釉薬の流れと溜まりが、朝鮮唐津の景色に似ているから『朝鮮唐津盃』としました」と言う。この作品は「一つ生み出すまでに手間と労力、経費が掛かり過ぎるので、しばらくは作陶しない」と言い切っていた。「作者の私が言うのもおかしいですが、この作品、良いですね」「どんな釉薬で造ったんだろ」と、しきりに自作に感心していた。素朴で正直な人柄を感じるエピソード。高台からも伝わる極薄の造形です、12年間に晩酌に登場する回数は多いい酒器ですが、土見せの高台すら欠けることもひび割れる事もない。

黄瀬戸酒呑 その一

60*60*H53
同会場で同門の大先輩である黄瀬戸名人の原憲司先生が個展をされている。同じ来客の目にかかるハードルの高さに臆しながらも挑戦する黄瀬戸は桃山黄瀬戸ではなく、独特な景色の極薄油揚手の美しい酒器。一見華奢ですが、十数年かける事もなく晩酌に登場している。

黄瀬戸酒呑 その二

65*65*H53
土と釉薬が一体化し、落ち着いた色合いは、油揚手の深々と輝く肌となっている。まるで、この色合いの土を、器に造形し、焼き締めのみで焼成したように見える。胆礬(タンパン)はやや青みが強く、発色が栄える。シンプルな造形の佇まいに、気品を感じられる。黄瀬戸釉薬は、“灰”を基本軸として造られる。“灰”の釉薬は、安定させることが難しく、同時に作っても、分けた入れ物ごとに、微妙に変化するらしく、景色が異なると言う。本作の“灰”は、残っておらず、仕入先も存在しなく、再現も出来ないと言う。原憲司黄瀬戸の歴史の中でも本作の景色に近いものがあり、この“灰”を使われていたのではないかと推察する。

黄瀬戸酒呑 その

緑釉酒盃

61*61*H93
細かな仕上げが一層の気品を醸し出す。大きく広がる口縁は、極薄。唇に溶ける。緑釉は、織部の原釉薬と考えられる釉を研究し、複雑な色合いの景色を生み出した。明るい発色は釉の濃淡に深さを感じさせる。三彩の景色にも見て取れる美しい色合い。鳥の飾り耳の釉溜まりの垂れは、釉の緩さを見せている持ち手の釉薬の垂れも造形の一部と化し、凜とした美しさを醸し出している。

白酒盃

68*68*H111
一部ほんのり赤味かかった灰釉の白い景色は貫入の美しさが際立ち造形に映える。色により作品の品位に違いが現れる。比較すると分かりやすい。

黒瓷酒盃

57*53*H55
“緑青”をイメージし挑戦する“黒瓷”“緑青”とは、銅の“錆”である。この“黒瓷”の景色は、既に“寂び”でいる。その“寂び”に“深さ”を感じる。金属である 銅 は、武器、鏡、神器、道具など歴史の中で、人と関わってきた。それらが、表す枯れた景色は、栄枯盛衰の面持ちがあり、生死や祭り事を司った役割の道具として、精神性の高い力を感じる。緑青は、その象徴であり、鉄の赤錆とは、品位が異なる緑青の景色は、見込み、胴とも同様に表れている。陶肌は、釉薬が染み込み、柔らかな艶となっている。土と釉薬の一体感を強く感じる。極薄の胴は、大きめの轆轤目があり、緑青の景色に表情や深みを持たせている。繊細に造形された口縁は、細い返りがあり、唇に存在を主張する。唇を細め呑む、初めての呑み心地、実に面白い。高台は、単純に切り取り、内側を削ったように見えるが、内側が高くなるように微妙に角度をつけてある。内角には、一周、糸状にほんの少し高くなっている。このことにより、腰からの立ち上がりに極小の隙間ができ、机から生えるいるような印象を持ちがちな筒型の作品の佇まいに、切れを持たせている。“黒瓷”は、出来立ての陶にも関わらず、既に枯れている。

黒瓷透彫花入

70*70*H340
焼成により土が型の記憶を蘇らせる頃合い土が持つ轆轤の記憶を読み切り、土を支配する作陶力を熟知し造形する。土が持つ轆轤の記憶を読み切り、土を支配する驚くべき作陶力。神宿る指力に、土が在るべき姿を委ねた証なのだと思いました。緑青に覆われ、空と杜の中に居る鎌倉大仏の泰然たる神々しい姿と重なりました。

瀬戸黒酒盃 その一

7670*H56
薄造りの造形に釉薬の濃淡で、景色に深みを出した独特な作陶。柔らかで、暖みを感じる作品。釉薬の濃淡の味わいは、残しつつ、漆黒の方向へ大きく振られ、“縮み”の景色もふんだんに盛り込まれている。瀬戸黒の景色と言えば“縮み”“縮み”の合間に、土を見せている作家も多い。富永善輝は、この土見せが、好きではないそうだ。本作では、“縮み”の間の土に、釉薬が、残るように調整されている。隆起の激しい大小の“縮み”の景色の中に、濃淡以上に迫力のある景色を作り出した。手持ちの作品の中でも、大きな構えでは、一、二を争う見込みは、潤いに煌めき、ベルベットの妖艶な艶やかさを発している。醸し出す気品は、会場で想像した“ゴクゴクと呑む”イメージではなかったゆっくりと味わいながら呑む所作となった。薄造りの口縁により、一層の上品な呑み心地となった。“心に染入る温かみ”と“所作を導く気品”の二つの陶力を持つ作品に感じ入った。

瀬戸黒酒盃 その

5959*H55
瀬戸黒の定番景色は縮本作に大きな縮は無い。土見せでも見て取れるように、土味を残しつつ整えられ、微妙に粗さが残る肌に釉薬が染み込み、艶と共に黄瀬戸で云う油揚げ肌のようなゆらめきのある艶肌となっている。黒味に微妙な濃淡があり艶肌と相まって深い景色になっており、口縁、内胴、見込みまで達している。

美濃伊賀徳利

6662*H137
富永善輝の土造りは、土を触り、そこからイメージする事から始まる。土地の人が、「焼き物には、成らない土だ」と言われた土だが、富永善輝には、感じるものがあった。テストピースでは、赤味の強い景色が出ていた。本作は、富永善輝のイメージとは少し、異なる景色と成った。今までの作品には見られない、素朴な造り。表面のザクッとした削りは、富永善輝としては、目ずらしい表現だ。しかし、全体の造形観は、富永善輝である。細かなところまで丁寧に造られている。一つ一つの要素に勢いがあり、変形した造形によって、活き活きした作品に見えてきた。同時に“暖かさ”が伝わってきた。その時“ピン”と琴線が弾かれ、この徳利で、酒を注いでみたいと思った。本作は、富永善輝が出品を迷っていたところ、奥様が本作を気に入っておられ「出してみたら」と言われ、持ってきたのだと言う。奥様が、その一言を言ってくださったから、出逢うことが出来た。奥様に感謝!また、「まあ、出してみるか」と思った富永善輝の“遊び心”が、嬉しかった。