金重 愫
金重 愫
酒器名人、カセ胡麻(メロン肌)の第一人者。艶消しのカセ胡麻(メロン肌)は、窯の一箇所にある箱で作られるそうです。灰が被り胡麻が流れ固まるときにメロン肌が現れますが、焼成温度が上がり過ぎると溶けてテカリがでます。焼成の調整は、窯の小さな穴の炎の色を見て判断すると言われていましたが、研鑽と経験だけでは決して生み出せない景色です。しかも、掲載の備前扁壷徳利のように全周の広い面でこの景色を生み出すとは‥高台の迷いの無い削りは、修行時代に師匠から「失敗を沢山し、体得するしか無い」と教えを受け「その教えを守り多くの失敗をしてきました」と和かに言われていました。名刺にEメールアドレスが記載してあったので試しにメールをしたらご本人から返信を頂きビックリ!Facebookの友達リクエストもご本人から頂きました。陶芸は体力勝負でもありますが、全国でトライアスロンもされていたとお聞きし、そのチャレンジ精神に驚かされました。
金重愫展(しぶや黒田陶苑2024.4)にてこんなにも多くの偶然的必然性を持って焼き物は生まれる」(個展図録ご挨拶文より)愫 備前の真骨頂でもある造形とカセ胡麻の融合した作品が数多く出品されていました。昨年、体調を崩されていた時期があり、思うような作陶が出来なかったという事でした。数ある陶芸の焼成の中でも、体力、精神力など自分自身との戦いでもある備前焼の焼成は過酷です。復調はしたものの「この度の焼成は、かなりきつかった」と言われていました。体力回復の必要性を感じてトレーニングをされるそうです。平々凡々の日々を送っている私としては、ただただ頭が下がる思いです。会場には、初お目見えの朝鮮唐津や斑唐津、など挑戦されている作品も出品されています。「朝鮮唐津や斑唐津などに挑戦するにあたり、目指すのは一定以上の仕上がり」と言われていました。「一定以上」とは高度な領域というのは言わずもがな、灰から釉薬を作り、それぞれの釉薬の何たるかの研鑽を積まれ、取り組まれているそうです。「有り物による作陶では、愫 朝鮮唐津、愫 斑唐津にはならないから」との事。その言葉には、当代の唐津作家への尊敬の念と作り手としての自尊心が込められていると感じました。
1945年 岡山県に金重素山の長男として生まれる1979年 京都大学農学部卒業後、父金重素山のもとで陶芸の道に入る2011年 山陽新聞文化功労賞受賞2019年 岡山県文化賞受賞